家族を養うため
2014年05月05日

そんな経験を東京に住む友人にメールで知らせたところ、帰りのラッシュよりも朝のラッシュの方がハッピーではないエナジーが強いような気がする、という応えが返って来た。帰りの方は、疲れてはいるけど家に帰れる安堵感というか開放感があるのではないかと假牙。彼女自身がそうだからという理由でしかないけれど、それも一理あると思った。今ではすっかり忘れている事実だけれど、こんな私でも20代の前半には大手企業に勤めていたときもある。高田馬場から新宿までの山手線の混み具合といったらそれは悲惨なもので、電車から駅に押し出された時に人混みの中で片足のパンプスを失った。振り返ってもそれが見いだせる訳もなく、半泣きでオフィスまで歩いた記憶が鮮明に思い出された。あのまま大手企業に勤め続けていたら相当な安泰人生だったぞ、と、あり得もしない『もしも』を考えて一人笑った。若い頃はそんな計算もできないから、半年で辞めてしまった私だった。あの頃、ひたすらアメリカ西海岸の空気に憧れていた風疹。
『サラリーマンの疲れた姿は、家族を養うためにそうなっているのだと思って見ると、疲れだけれはなく、愛情もどこかに感じられるような気がします』
メールのその一行に、彼女の人柄を見たようにも思える。そうやってポジティブに世界を見る事も大切なサバイバルのツールだと思う安利傳銷。