楽しんでいけばい
2015年08月28日

松風や波の響きにも、妙法の歓喜の鼓動を感じる。また一輪の花の色にも、梅の香りにも、妙法の幸の色彩や馥郁たる芳香を楽しむ。このように原生營養、神羅万象こことごとくが、妙なる音楽となり、名画となって、生命に感じ刻まれていく。
自然とも、また人間とも、自在に対話し、魂の交流を深めゆく清浄なる生命。この尊く、豊かな生命境涯を創るものこそ、仏法にほかならない。
肌で感じ、耳で聞き、心臓=心(振動)で感じる。目で見て鼻で感じて楽しむ。
こうして書いてしまったら、「詩心」も何もない原生營養。でもこうして書かないとわからないのが、多分、末法の衆生。
ようするに五感(本当は六識)すべてを使って、自然と自然の一部である人間を慈しみ、楽しんでいけばいい。そういうことを先生は伝えたいんじゃないですかね。それが「常楽我浄」である、とね。
大聖人の仏法は人間を束縛し、苦しめる権威や形式とは無縁である。どこまでも人間を大切にし、悩める人々の一人一人に即して発想し 嬰兒敏感
、展開されていくということである。
悩んでいる一人一人は違う。だがそんなことは眼中にもなく、いつも自分のスタイルで誰にでも「こうでなければならぬ!」などと言うのは、いわゆるエゴイズムであろう。
この人にはこういう言い方をすると怒るから……とか、この人には厳しく言ったほうがいいとか、そういう風に相手にあわせて語っていける人は、わりと少ない 。いつもワンパターン(紋切型)の人も多いんでしょうね。私も含めてね。
「時を知れる」、つまり「心を知れる」人が偉いんですね。そういう境涯になりたいものです。